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100年カンパニーへ C 8-1

コロナ禍での社長交代

2020~➀

2020(令和2)年に起こった新型コロナウイルスの感染拡大は、2003(平成15)年から17年間にわたりひとりで代表取締役を務めてきた苅谷純に、社長交代を決断させた。
「代表権を持つたったひとりの取締役が新型コロナウイルスに感染すれば、最悪の場合は会社経営が混乱する」
そのリスクを避けるため、代表取締役社長を後継者に譲り、苅谷自身は代表取締役会長に就任する。2人代表体制をとることにしたのである。

――危機のなかでもぶれない方針

もっとも、後継者の育成は突然始まったわけではない。苅谷は社長就任後、早い段階から次の世代を意識していた。2015(平成27)年には自らが講師となり、上級管理職8名に全7回の経営後継者研修を行っている。新社長はこの中から選任された。

選任にあたって苅谷が重んじたのは、頭のよさやリーダーシップだけではなかった。社長として何より大切なのは、困難を乗り越える力があるかどうか。そう考えていた。

2020年12月、第4代代表取締役社長となったのは、候補者のなかで最も若く、当時52 歳だった勝又健である。

勝又は、こう語る。

「自分では社長を目指していなかったですし、向いているとも思っていませんでした。会社全体のバランスや継続性を考えた時、私という選択になったのだろうと今は受け止めています。私は大学卒業後、証券会社に勤務しました。その後、縁があってマサルへ入社し、おもにリニューアル事業に携わった。金融の世界で企業や経済の動きを学び、リニューアルでは建物をよりよい状態へ再生するためのさまざまな知恵を学んだ。その経験が、現在の経営に役立っています」

新社長となった勝又が最も優先したのは、会社を守ることだった。

就任当時は新型コロナウイルスの影響で先行きが見通しにくく、建設業界はまたも大きな不安に包まれていた。バブル崩壊、リーマンショック、そしてコロナ禍。建設市場で需要が低迷するたびに、業界では必ず受注を確保するための安値競争へ向かう動きが出る。しかしマサルは、その道を取るべきではない。勝又はそう考えていた。

前社長の苅谷の時代から続けてきた選別受注、原価管理、無駄をなくす方針を、この危機のなかでもぶらさない。それが、新社長の意思だった。

加えて勝又は、取引先の間口を広げることを考えた。それまでの取引はスーパーゼネコンが主体だったが、準大手ゼネコンにも取引先を広げる決断をする。選択肢を増やすことで、利益を確保できる案件を見極める。キャッシュフローを維持し、会社の体質を強くすることを最優先した。

守ることだけに徹するのではなく、将来に向けた体質改善を並行して進める。コロナ禍におけるその選択が、マサルのその後の成長につながっていった。

現社長の勝又健

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