昭和32年頃➀
マサル設立前夜
昭和30年代はダイナミックな高度成長の時代であった。だがその経済成長の過程は必ずしも安定しておらず、好況と不況を繰り返した。マサルの胎動期の30年代初頭は、景気が特に目まぐるしく転換した時代である。
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マサル工業(株)の誕生①
独立後しばらくの間、中外商工(株)の仲間のひとりが手伝ってくれることになった。 2人が最初に手掛けた仕事は岡山県庁舎の防水工事であった。これは(株)竹中工務店の工事で、防水工事は青盛建材の岡山出張所を経由して昭和化工(株)が受注していた。苅谷勝はその下請けとして油性コーキング材の施工に携わった。これが昭和化工(株)の油性コーキング材「エバーシール」を使用した初の大型工事であった。
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マサル工業(株)の誕生➁
設立時の資本金は50万円。創業者・苅谷勝が筆頭株主となり、その他、苅谷勝の親族ほか7人で法律にのっとって株主を構成した。登記上の名義人は次の通りである。このほか、株主名義人として名は連ねていないが、当時、昭和化工(株)取締役専務の国生祐作氏は会社設立を名実ともに強く支援してくれた恩人として、社史編纂に当たり明記しておきたい。 ■創業時の株主 苅谷 勝 村山道雄 川上慶久 大谷淳一 国生祝代 平場興志 平場安治 藤川録蔵
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マサル工業(株)の誕生③
創業初期において、マサルの基盤づくりに貢献した面々を紹介したい。 春名滋氏がマサルに在籍したのは1958(昭和33)年3月から翌1959(昭和34年)11月までである。短い期間であったが、春名氏はマサルの発展のうえで非常に重要な役割を果たした。
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職方の協力体制
苅谷勝は職方を「下請け」という言葉で呼ぶことを好まなかった。元請け会社、下請け会社といった上下関係はないし、社長だからといって別格ではなく社員も職方もみんな平等だという気持ちを、創立以来、根強く持ち続けてきた。「マサルは“みんなの会社”であり、“みんなで協力する会社”なのだ。だから頑張ろう!」というのが当時の口癖だった。
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