パンデミック
2020(令和2)年、世界は誰も経験したことのない危機に直面した。新型コロナウイルス感染症の世界的大流行――パンデミックである。感染は瞬く間に地球を覆い、日本社会も深刻な混乱に陥った。緊急事態宣言が発出され、外出自粛と移動制限が要請されると、都市から人影が消えた。企業活動そのものが止まりかねない異常事態であった。
――共に歩んでいくために

緊急事態宣言下の新宿西口方面
人が現場に集まることを大前提としてきた建設業にとっても、コロナ禍はかつてない試練となった。現場は停止し、資材の供給は滞る。工程は幾度も組み直され、日々の作業には細心の感染対策が求められた。
当時の社長室長(兼)経営戦略室長だった勝又健が、振り返る。
「私が担当していた部署では複数名の感染者が出て、そのフロアを閉鎖するほどでした。当時はまだワクチン接種も始まっておらず、数人が重症化して入院したのを覚えています」
この状況下で、多くの企業が「社員を守り、会社を止めないための体制づくり」と正面から向き合うことになった。
マサルにはひとつの強みがあった。すでに業務のクラウド化が定着していたことである。
労働環境改善改革の一環として進めてきた端末の配布、クラウド環境の整備、情報共有システムの構築。それらが結果として、非常時に会社を支える力にもなっていた。データ共有と社外からのアクセス環境が整っていたマサルは、比較的スムーズに本社機能を在宅勤務体制へと移行することができたのである。
会議はオンラインに切り替わり、報告業務はクラウドを経由するようになった。承認手続きも順次デジタルへ移していった。もとより建設業である以上、すべてをリモートに置き換えられるわけではない。それでも、本社機能が完全に停止するという最悪の事態だけは避けられた。
より深刻だったのは、協力会社が受けた影響である。
工程が滞り工期が延びれば、真っ先に打撃を受けるのは技能者たちだった。協力会社の技能者にとって、日々の現場稼働は生活基盤そのものである。仕事が止まることは、そのまま暮らしの不安に直結した。
マサルはこの事態を重く受け止め、協力会社への休業補償支援に踏み切った。対象は協力会社44社、280名。支援金として2億2100万円を予算計上した。後に国からの還付などがあり、実質的な負担額は9900万円程度に収まったが、当時としては大きな決断であった。
重要だったのは、先に支えるという姿勢である。コロナ禍の初期、国の制度はまだ流動的だった。助成金の仕組みも整備の途上にあり、現場には強い不安が広がっていた。だからこそマサルは、制度の確定を待つのではなく、まず協力会社を支える側へと動いたのである。
現場を守るというマサルの思想は、創業当初から社内で受け継がれてきたものだ。その積み重ねが、今回の危機のなかでも確かな形をとって現れていた。
パンデミックは、多くの価値観を塗り替えた。会社の在り方、働き方、人と人とのつながり。そのなかでマサルは、会社は一社だけでは成り立たないという現実を、改めて強く胸に刻むことになる。社員、協力会社、技能者、顧客。そのいずれかが欠ければ、現場は動かない。だからこそ、ともに歩む。その考え方は、コロナ禍を通じてより深く会社に根づいていった。