マサル工業(株)の誕生①
独立後しばらくの間、中外商工(株)の仲間のひとりが手伝ってくれることになった。
2人が最初に手掛けた仕事は岡山県庁舎の防水工事であった。これは(株)竹中工務店の工事で、防水工事は青盛建材の岡山出張所を経由して昭和化工(株)が受注していた。苅谷勝はその下請けとして油性コーキング材の施工に携わった。これが昭和化工(株)の油性コーキング材「エバーシール」を使用した初の大型工事であった。
――油性コーキング材「エバーシール」の初仕事
岡山に赴いた2人は、安宿に長期逗留しながら、工事現場に通った。工期は1956(昭和31)年暮れから3~4カ月間の厳寒期だったが、独立の緊張感と前途への明るい希望から、厳しい環境にめげることなく頑張りとおした。
それから10カ月間、苅谷勝は昭和化工(株)の期待を担ってひたすら種々の工事に携わりながら油性コーキング材の施工法を身をもって工夫研究し、職方たちを指導しつつ、施工術を広めていった。機が熟し、周辺の人びとの声援のなかで会社設立の意志を固めた。
昭和化工(株)(現・昭石加工(株))
1953(昭和28)年3月、昭和石油(株)(現・出光興産(株))の子会社、昭和化工(株)として発足。
1968(昭和43)年4月新潟アスファルト工業(株)と合併し、昭和石油アスファルト(株)と改称。
1985(昭和60)年1月、現社名に変更した。
1955(昭和30)年の「エバーシール」開発に伴い、施工業者としてのマサルの設立を支援する。
1957(昭和32)年9月30日、東京都江東区森下において資本金50万円のマサル工業(株)が産声をあげた。代表者は弱冠29歳の苅谷勝。この会社こそ、シーリング業界のトップ企業として、1994(平成6)年11月2日に株式を公開するまでに大飛躍を遂げた(株)マサルの前身である。

創業当時の木製の看板
創業時、本社は、苅谷勝の自宅である前述の住所に登記開設した。営業活動拠点の事務所は東京ビル(東京都千代田区丸の内)の昭和化工(株)本社内に置き、全面的に昭和化工(株)の下請け施工業としてスタートを切った。営業拠点といっても、昭和化工(株)の社内の片隅にツイタテで仕切っただけの小さなスペースだった。しかし、ここに事務所を構えたことで、工事の打ち合わせ、事務処理、その他すべてがスムーズに行われた。
1956(昭和31)年に建設された青戸団地が1年目にして漏水事故を起こした。日本住宅公団にとって、建築後早々の建物にこうした事故が発生したことは今後の計画に大きく影響する重大事であった。
昭和化工(株)はこの情報をいち早く得て現場に赴き、漏水状態を調査診断した。漏水は主に屋根の亀裂からで、屋根に施工されたモルタル防水層のヒビ割れが原因であった。以後、日本住宅公団ではこの欠陥を見直し、モルタル防水をアスファルト防水に改良した。
日本住宅公団にとって焦眉の急を要する補修工事は昭和化工(株)が請け負うことになった。昭和化工(株)には油性コーキング材の販路を拡張する絶好のチャンスが到来したわけである。となれば当然、現場工事は昭和化工(株)傘下で油性コーキング材の施工を一手に引き受けるマサルが請け負うことになる。マサルとしてもこの受注は、スタート期の仕事量が確保され、その後の躍進を予感させるものとなった。
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日本住宅公団青戸団地(1956(昭和31)年建設)