マサル工業(株)の誕生➁
設立時の資本金は50万円。創業者・苅谷勝が筆頭株主となり、その他、苅谷勝の親族ほか7人で法律にのっとって株主を構成した。登記上の名義人は次の通りである。このほか、株主名義人として名は連ねていないが、当時、昭和化工(株)取締役専務の国生祐作氏は会社設立を名実ともに強く支援してくれた恩人として、社史編纂に当たり明記しておきたい。
■創業時の株主
苅谷 勝 村山道雄 川上慶久 大谷淳一
国生祝代 平場興志 平場安治 藤川録蔵

国生祐作氏
――会社の礎を築く
前述のように創業当時は昭和化工(株)の100%下請け会社であったが、実際は「下請け」というより「昭和化工(株)の工事部」といった扱いを受けていた。昭和化工(株)が工事の受注はもとより経理事務関係もすべて処理し、欠損が起きないように取り計らってくれた。したがって大幅な利澗は望めないとしても、現金払いの施工料の中から職方に賃金を滞りなく支払うことができ、資金繰りなどの経営上の苦労から一切解放された。昭和化工(株)のあたたかい翼の下での恵まれた滑り出しであった。 取引銀行として昭和化工(株)の関係から第一銀行(現・みずほ銀行)馬喰町支店(現・横山町支店)に口座を開いた。現在まで主取引銀行として続いている。
1957(昭和32)年10月、社員は社長の苅谷勝と1歳年下の宮地利春の2人だけという形でスタートラインに立った。
年が明けて篠沢ひで子が事務方として、続いて春名滋が入社し、総勢4人になった。設立1年後の秋には、川名清、田中春夫、手賀勝男の3人が、翌34年の春になるとのちに2代目社長を務めることとなる操上弘昌が人社した。設立後わずか1年半で7人の若い元気な社員が勢揃いし、会社らしい雰囲気が盛り上がってきた。
昭和30年代の不況に伴う就職難は、創業したばかりのマサルにとっては逆に順風となった。友人知人の紹介によってこれらの優秀な大卒者が次々と入社してきたからである。しかしいかに就職難の時代とはいえ、どうして彼らは、創業して日が浅く将来の見通しも定かでない零細企業に就職する決心をしたのだろうか。
その大きな理由が、マサルの親会社である昭和化工(株)(昭和石油(株)子会社)への信頼性にあったことは確かだが、新分野の事業ということで将来に大きい夢をかけたのだった。また、営業拠点が丸の内の東京ビルに所在していたこともなんとなく安心感をもたらした。しかし最大の吸引力は、社長・苅谷勝の人間的魅力と指導力にあったのではなかろうか。
こうして社長・苅谷を中心にバイタリティあふれる若手社員が団結し、社運はぐんぐんと上昇気流に乗っていった。
創業時の社員(数字は入社年月日)
苅谷 勝 S 32.10.01
宮地利春 S 32.10.01
篠沢ひで子 S 33.02.01
春名 滋 S 33.03.17
川名 清 S 33.11.11
田中春夫 S 33.11.11
手賀勝男 S 33.11.11
操上弘昌 S 34.04.01

社員旅行
当時の50万円の価値は?
資本金の50万円は当時どのくらいの価値があったのか。
昭和化工(株)の油性コーキング材の卸値が8,900円/缶で、マサルの大卒者初任給とほぽ同額だった。
資料によれば1957(昭和32)年度の初任給は、公務員9,200円、小学校教諭8,000円、銀行の大卒者1万2,000円となっている。その他の主な物価は下記の通り。
私鉄・国鉄(初乗り) 10 円
タクシー(初乗り) 70 円
電話料金(3分) 7円
ハガキ 5円
コーヒー 50円
タバコ(ピース) 40円
入浴料(大人) 16円
『値段史年表』朝日新聞社、『日本長期統計総覧』日本統計協会