シーリング業界への貢献①
1976(昭和51)年、東日本シーリング工事業協同組合が設立された。組合発足には次のような経緯があった。この時代になるとシーリング施工業者が急増し、メーカー指導のもとに市場が強化されてきた。当初はメーカー団体の日本シーリング材工業会に施工業者も施工部会として所属していたが、規模の拡大に伴い、メーカーと施工業者とは利害が相反することもあり、施工業者だけが集まって協同組合を設立することになったのである。
――東日本シーリング工事業協同組合の牽引と海外への技術指導
協同組合設立の目的は、「組合員の相互扶助の精神に基づき、組合員のために必要な共同事業を行い、もって組合員の自主的な経済活動を促進し、かつ、その経済的地位の向上をはかることを目的とする」と定款に定めているとおりである。そして組合員資格を有していることはその企業の信頼度を証明するものとして評価され、公的工事受注の前提条件になった。
苅谷勝は1976(昭和51)年の発足時に理事、1980(昭和55)年1月に理事長に就任した。実はこの年に組合内部の不祥事が発覚し、組合の存続が危ぶまれるような事件が起きた。緊急臨時総会が開かれ全会一致で苅谷勝の理事長就任が懇請されたのであった。以後10年間、組合再建と組合員相互の協調による業界の発展に尽力した。
日本シーリング材工業会
わが国における建築用、土木用シーリング材およびその技術の健全な発展と振興を図ることを目的として、1963(昭和38)年2月に日本コーキング協会として設立され、以後改名して現在に至る。会員はシーリング材メーカーが加盟し、賛助会員には原材料メーカー、取扱業者等が加入。全国に7支部を有する全国的組織である。2025(令和7年)年4月時点での加盟社数は正会員14社、賛助会員24社。
1980(昭和55)年12月10日、「シーリング防水工事の施工指針」が東日本シーリング工事業協同組合の名において発刊された。編集作業は、ゼネコン・技術研究所の協力により進められた。編集についての技術委員長として操上弘昌がその任に就いた。業界初の刊行物ということで編集作業にたいへんな労力を費やしたが、内外から高い評価を受け、シーリング防水工法の教科書として広く利用された。また、現場の人たちが理解しやすいようにディテールがすべて図解され、工事内容も詳細に掲載したことから、工事内容と価格の標準化の役目も果たした。
1983(昭和58)年には、上記の書をもとにして、「シーリング防水施工法」が日本シーリング工事業団体連合会(現・日本シーリング工事業協同組合連合会)から全国ベースで発刊された。これは1981(昭和56)年制定のJASS8(日本建築学会建築工事標準仕様書第8編防水工事)に基づいて作成され、シーリング材を用いる防水工事についての設計および工事の標準化が図られた。

『シーリング防水工事の施工指針』『シーリング防水施工法』書影
昭和50年代、わが国の建設業界は世界各地に市場を拡大していった。マサルでは建設に伴う防水工事の技術指導の要請を受け、サウジアラビア、エジプト、イラク、スリランカ、サイパン、中国、シンガポール等に社員や職方を派遣した。
現地は気候や気象条件はもとより風習や人びとの考え方などすべて日本とは著しく異なる環境であるため、派遣された人びとは思いもしなかったようなさまざまな体験をした。
海外派遣は、マサルの経営史上において大きな意義を有している。ひとつは、国境を越えグローバルに活躍し得る企業体質と活力を広く業界に知らしめるものであったこと。もうひとつは営業面での貢献である。異郷の地では日本人どうしの親近感から現地派遣のゼネコンの人びとと非常に緊密な関係が生まれた。これが帰国後の事業拡大に大きく寄与したのであった。
海外ではびっくりするような体験が多かったようである。
エジプトでは、ギザのピラミッドや神殿などのスケールには感嘆したが、どこからともなく発生してきた猛烈なハエの大群に悩まされた。ガラスまわりの作業では殺虫剤を噴霧してから行った。サウジアラビアは、昼間の気温が摂氏42~45度、特に熱い日は50度にも達した。雨が少ない地域だが、ときには3日間でいっぺんに年間降雨量の4分の1も激しく降ることがある。このためにも防水が必要なのだが、シーリングの主な目的はむしろ埃の対策だった。サウジアラビアはイスラム教の厳しい戒律によって禁酒されている。やむなく自分たちでワインを造ることを覚えた。休日にはキャンプの中で読書やビデオを楽しんだり、近くの海で釣りをしたり、日本では味わえない楽しみもあった。イラクの現地人はよく働き、良い人間関係が生まれた。国際会議場(のちのサダム・フセイン会館)の広場の工事を行ったが、日本とはまったく環境が違い、戸惑うことも多かった。
このほか、北京のシャングリラホテルの工事でスーパーバイザーとして現地人を指導した古澤は、工事の内容を理解させることにいちばん苦労したと述べている。またシンガポールに設置したマサルとの合弁会社のサンボニーシンガポールの責任者であった平野は、ホテルやオフィスビル工事に携わり、ゼネコンの人びとと親密なコミュニケーションで結ばれた。
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OUBセンター(シンガポール)
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クラウンプリンスパレス(サウジアラビア)
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アルシャヒードモニュメント(イラク)

海外への技術指導一覧