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業務拡大期 C 4-3

シーリング業界を担うマサルの技術力①

昭和50年代➂

この時代すでにマサルの技術力は高い評価を受けていた。その技術力とは単に施工技能や開発工法を指すだけでなく、もっと広い意味を持っていた。創業以来マサルの経営哲学として脈々と流れてきた類いまれな理論的探求心をもって技術力と称されていたのである。そのようなマサルの技術力が下記の事項の中に遺憾なく発揮され、やがて数々の特許や実用新案を取得するに至った。

――新しいシーリングヘの技術的対応

2成分形シリコーンは新宿三井ビルでカーテンウォールに使用することが適正と認められてから、広く使用されるようになった。ところがやがてこのシーリング材を充填した目地の周辺に汚染が目立ち始め、大きなトラブルをひき起こした。この原因は、シリコーン系シーリング材の低分子量遊離シリコーンが硬化の過程で建築部材に伝播して起こる現象であることが明らかになった。高性能といわれたシリコーン系シーリング材もまた、万能ではなかったのである。

1977(昭和52)年竣工の新郵船ビル(東京都千代田区)は、本格的に2成分形シリコーンを使用した最初の大型現場である。GPC(石打ち込みプレキャストコンクリート)仕上げの目地施工において、表面の凹凸に汚染が浸透。続いて竹橋ビル(同千代田区)、警視庁本部庁舎(同千代田区)、東京銀行本店(同中央区)等々のビルも同様の汚染に悩まされた。汚染の解決手段は材料を変更するほかはなく、2成分形シリコーンは衰退の一路をたどり、登場以来10年ほどにして変成シリコーンにバトンタッチしたのである。1984(昭和59)年の東京高等・地方・簡易裁判所合同庁舎をもって大型工事においてはガラスまわりを主体とする使用に限定されるようになった。

1978(昭和53)年、2成分形変成シリコーンが業界の期待を担って登場した。この特性は、①耐候性・耐久性②耐熱性・耐寒性③高低温下での硬化性④接着性⑤取り扱いが容易⑥毒性が少ない、という優れた性能を多々有しており、したがってムーブメントに強く、目地周辺も汚染しないという点から救世主のように思われた。しかし、⑦ガラス越しの耐光接着性は劣る、という重大な弱点もあった。すなわちガラスとの接着面に紫外線が作用して化学変化を起こし、接着不良を生じたのである。変成シリコーン系シーリング材もまた万能ではなかった。

1979(昭和54)年竣工の第一勧業銀行本店(東京都千代田区)は2成分形変成シリコーンを使用した最初の大型現場で、GPC目地を中心に使用された。ところが北面のガラスまわり目地に変成シリコーンを使用したが全面的に剥離現象をひき起こした。ガラスを通った紫外線がシーリング材の接着面を劣化させたのであった。この経験によって、2成分形変成シリコーンはガラスまわりには不適切な材料であることがわかり、以後ガラスまわりには使用しなくなった。

こうした苦い経験から学び取った集大成が、やがて1985(昭和60)年、「適材適所表」としてまとめられたが、この時期は試行錯誤による土台づくりの時代であった。

適材適所表

1985(昭和60)年、日本シーリング材工業会によって、シーリング材とプライマーおよび躯体部材間の適切な組み合わせ方の指針が公表された。昭和50年代は、シーリング材の開発の盛況期に達し、年代末にはほとんど出尽くして完成した感があったが、意外にもトラブルが続出し、結局は万能のシーリング材はあり得ないという解釈を余儀なくされた時代でもあった。この段に至って日本シーリング材工業会では、「適材適所」に気がついた。万能のシーリング材はないのだから、目地の種類別に適切なシーリング材を選んで使わなければならない。同会の技術委員会では論議を重ねて「適材適所表」を作り上げた。

「建築用シーリング材」
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