マサルマスター制度とグラフィックス事業参入
2003(平成15)年10月に始動した「マサルマスター制度」は、長年ともに現場を支えてきた協力会社と技能者に向けて打ち出した一手だった。協力会社とそこで働く技能者は、マサルにとって重要な〝現場力〟そのものである。その力を維持するために、考えられる方策はすべて試さねばならなかった。
――仕事を失わせないために
「マサルマスター制度」は、優れた技術を持つ職長や技能者を顕彰し、報奨金を支給する制度だった。その背景には、「有名な寿司職人は何人もいるのに、建設業界に広く名前を知られた職人がいない」という業界の現実があった。他の技能者から憧れられるスターをつくり、高い技術にふさわしい評価と収入を得られる存在にしようという試みだった。
初代のマサルマスターには、協力会社の蓼沼康弘(古澤工業)と遊佐喜則(ユサシーリング)が選ばれた。蓼沼は2001(平成13)年、国土交通大臣顕彰(建設マスター)も受けた技能者だ。「特別安全大会」(マサルが毎年5月または6月に開催)でマサルマスターを表彰し、インタビューを通じてその技術や人柄を広く紹介した。
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第1回マサルマスター受賞者(2004年)

2001年建設マスター蓼沼康弘
2003年問題の影響で新規案件が大幅に減少したこの頃、危機に直面していたのはマサルだけではなかった。協力会社と技能者たちも厳しい状況に置かれていた。日当制を基本とする技能者にとって、現場の減少はそのまま収入の減少、生活への不安に直結する。そこで経営陣が次に考えたのが、技能者の「多能工化」だった。
当時、協力会社の技能者の多くは、シーリングや防水など、それぞれの専門分野で高い技術を持つ一方、仕事の領域は限られていた。建築工事そのものが減れば、優れた技術を持っていても働く現場がなくなる。ならば、これまで培ってきた技能や現場経験を別の分野にも生かせないか。複数の仕事に対応できれば、仕事量が減ったときにも収入を確保し、技能者が現場を離れるのを防ぐことができる。
その取り組みのひとつとして、マサルは2006(平成18)年、「グラフィックス事業」への参入を決めた。
ここでいうグラフィックス事業とは、サインや表示、装飾などのために、大型プリンタで印刷したフィルムを建築物に貼る施工である。この新事業を担当したのは当時、子会社となっていた株式会社テクマだった。マサルはこの新分野への参入を、単なる事業拡大ではなく、仕事量が減少した協力会社や技能者に新たな仕事を生み出す方策と位置づけた。建築の仕事が減っても別の分野に現場をつくり、技能者が仕事を失って業界を離れてしまうことを防ぐ。それが大きな狙いだった。

グラフィックス事業の施工例
グラフィックス施工には正確な位置決めや、細部まで美しく仕上げる施工精度など、新たに学ぶ手順も多かった。ただ、現場での段取りや安全管理など、建設現場で培った経験を生かせる部分もある。技能者にとっては、従来の専門領域に新たな技術を加え、現場対応力を広げる挑戦でもあった。
もちろん、厳しい経営環境のなかで未知の分野へ進出することには大きなリスクが伴った。営業先も異なり、施工や事業運営のノウハウも一から築かなければならない。グラフィックス事業は軌道に乗らず、2008(平成20)年に撤退を余儀なくされる。最終的には約1億円の損失を計上した。
事業として見れば、成功とはいえない。それでも、この挑戦の根底にあったのは、厳しい時代だからこそ現場を支える人材を失ってはならないという考えだった。「マサルマスター制度」で優れた技能者を評価し、「多能工化」によって仕事の幅を広げ、新たな働く場をつくる。仕事を守ることは、人を守ること。そして人を守ることが、会社の次の成長を支える――。「事業は人なり」という社是を、現実の経営のなかで実践しようとした取り組みだったのである。