創業50 周年
2006(平成18)年、マサルは創業50周年を迎えた。
――次の時代へ、再び歩き出す
1956(昭和31)年の創業から半世紀。高度経済成長と建設ブームの中で事業を拡大し、超高層ビルをはじめとする大型建築のシーリング防水工事で実績を重ねてきた一方、バブル崩壊後は長く厳しい時代が続いた。建設市場が縮小するなか、マサルも業績と財務内容の悪化に直面し、事業や組織の立て直しに奔走した。

『株式会社マサル 50年の記録』
創業50周年を記念して、苅谷純社長を筆頭に社史を編纂した。年毎に社の動向や施工実績、市況、世の中の出来事などをまとめた。
創業50周年を迎えた2006年には、会社の組織に変化があった。各事業部の責任者として執行役員を配置する組織変更が行われ、事業部ごとの責任体制がより明確になっていった。
かつてマサルは、新築高層建築のシーリング防水工事を中心に成長してきた。しかし、時代とともに事業領域は広がり、改修・リニューアル、新技術・新工法の開発など、会社が担う仕事が多様化していく。さらに、バブル崩壊後の建設市場では、受注量を追うだけで利益を確保することが難しくなり、一つひとつの事業について、収益性をより厳しく見極めることが求められるようになっていた。そんな状況下、各事業部の責任者を明確にしたことは、マサルが経営再建をさらに一歩進め、事業ごとの責任と収益を厳しく問う組織へと変わっていく動きのひとつだった。
人材面にも変化が現れた。後にウェルネス推進室長となる有田智賀子(現・株式会社マサルファシリティーズ取締役)は、「2006年に女性総合職が入ってきて、女性もちゃんと活躍できる会社になってきた」と振り返っている。
変化は、一朝一夕に生まれたものではなかった。女性総合職を迎えた当初は、受け入れる側の管理職に戸惑いがあり、女性社員をどう育成するかを考える研修なども行われた。従来のやり方を少しずつ変えながら人を採用し、育て、長く働ける会社をつくっていく。その後のマサルの人材戦略につながる動きが、この頃から始まっていた。
そして創業50周年を迎えたこの年、操上弘昌が日本建築仕上学会賞(功績賞)を受賞したことも、マサルの歩みを象徴する出来事のひとつとなった。
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「日本建築仕上学会賞」授賞式での操上会長(左から2番目)
1959(昭和34)年にマサル工業へ入社した操上は、シーリングという言葉さえ一般的ではなかった時代から、その技術とともに歩んできた。1960〜1970年代には霞が関ビルディングやNHK放送センターなどの大型工事に携わり、日本初の超高層ビル建設という未知の領域にも挑んだ。霞が関ビルディングでは、カーテンウォールの耐震性や止水性能を確保するための検討や実験に加わり、その後も超高層建築における防水・シーリング技術の確立と普及に力を注いだ。操上個人の歩みは、そのまま戦後日本におけるシーリング防水技術の発展と、マサルの技術史に重なるものでもある。
現・会長の苅谷純と現・副社長の操上悦郎は、ともにマサルの強みを、シーリング防水工事における技術力と計画力、実行力だと語る。同業他社と比べても、そこに大きな差があるという。設計段階から建物に関わり、施工上の問題を予測し、解決策を提案できる。それは、半世紀にわたって蓄積してきた経験と技術、そして人材があってこその強みだった。
2006年の創業50周年は、そうした半世紀の蓄積を振り返る節目であると同時に、マサルが長い低迷から抜け出し、次の時代に向けて会社の形を作り変えつつあった時期でもあった。
創業から50年。マサルは、ここから再び成長を目指すための新たな足場を築き始めていた。
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技能講習(学科)
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技能講習(実技)