リーマンショック
2008(平成20)年9月、アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズが経営破綻し、いわゆる「リーマンショック」が起こった。金融危機はまたたく間に世界経済へ波及し、日本経済も急速な景気後退局面に入った。輸出産業を中心に企業業績は悪化、不動産・建設市場にも再び暗い影が落ち始める。
――危機の時代、支え合うという選択

ウォール街に震撼が走った
建設業界では計画案件の見直しが相次ぎ、民間設備投資は急減速。デベロッパー各社も慎重姿勢へ転換し、大型再開発案件の延期や凍結が増えた。「また仕事が減るのではないか」という不安が業界全体を覆った。実際、建築投資や大手ゼネコンの受注高は大きく落ち込み、建設業界にとって厳しい数年間が続くこととなる。景気の先行きが読めないかぎり、各社は投資や採用に慎重にならざるを得なかった。
とりわけ不安定だったのは、現場を支える技能者たちである。景気変動の影響を最初に受けるのは、いつの時代も現場だ。世界的な金融危機による景気後退は、技能者たちに「次の仕事が本当にあるのか」という深刻な不安をもたらした。
しかしこの時のマサルは、かつての不況期とは少し違っていた。「協力会社を守る」という考え方は、すでに社内の常識として浸透していた。現場力を失えば施工品質は維持できず、一度離れた技能者は簡単には戻ってこない。マサルはその現実を痛いほど理解していた。
リーマンショック後のマサルは「協力会社救済措置」の継続・強化を打ち出す。いち早く開催したのが「多能工講習会」である。グラフィックス事業参入時と同じように、協力会社のシール工(シーリング工事技能者)に対し「ウレタン塗膜防水工事」の教育を実施、ひとりの技能者が複数工種へ対応することで仕事の幅を広げようとした。現場経験を持つ指導者による実技指導を交え、材料特性、施工手順、下地処理、安全管理など実践的な教育が行われた。
さらにマサルは、講習会の受講者へ日当を支給した。教育期間中は「働けない時間」になりやすいが、当時の職人には生活のために現場へ出なければならない現実があった。だからこそマサルは、「学ぶこと自体が仕事になる」環境を整えたのである。同時に「安全講習会」も積極的に開催した。
会社としての備えも並行して進んでいた。新築工事は市況の波を受けやすい一方、リニューアル工事は景気変動の影響を受けにくい。マサルはこの時期、リニューアル事業の比重を高め、新築偏重からの脱却を図っていた。
加えて、2003(平成15)年の経営改革以降、財務体質の強化に取り組んでいたことも、危機を乗り越える支えとなる。景気変動に振り回されにくい事業構造と、いざという時に耐えられる財務基盤の両方を備えていたことが、協力会社への支援を継続できた理由のひとつでもある。
この頃、マサルと協力会社の関係も変わり始めていた。単なる「発注者と下請」ではなく、苦しい時代をともに乗り越える〝現場共同体〟のような感覚が生まれていた。根本には、「マサルと協力会社は受注から施工までを担うひとつの組織体」であるという考え方があった。
リーマンショックは多くの企業から余裕を奪う一方、「どんな時に、誰を守るのか」という企業姿勢を浮き彫りにした。マサルはこの危機の中で協力会社と支え合い、その連帯の積み重ねが、後の現場力を支える大きな財産となっていく。
リーマンショック当時のマサルは2004年度・第49期から2008年度・第53期までの5年間で、有利子負債を23億円から17億円に削減していた。また、2009(平成20)年には採算が取れないグラフィックス事業から撤退し、子会社の株式会社テクマを吸収合併した。
