不況下でも止めない技術開発①
バブル崩壊後、建設業界では受注のための価格競争が激化し、先行きへの不安が広がっていた。ゼネコンや専門工事業者にとって、従来通りの施工体制で品質と収益性を両立させることは難しくなりつつあった。多くの企業がコスト削減に追われる中、マサルは「技術開発」による事態の打開へ挑んでいった。
――ハイゼロミニの実用化
厳しい時代だからこそ、他社との差別化につながる独自技術が必要だった。技術によって現場の省力化や安全性向上、施工品質の安定化を実現しなければ、生き残ることはできない――。その危機感が、1990年代の技術開発を後押しした。
象徴的だったのが、1995(平成7)年にワールドワイド商会とジャテック(株)(混練機の専門メーカー)と共同開発した「ハイゼロミニ」である。
主剤と硬化剤からなる2成分形シーリング材の国内生産が始まった1960年代、シーリング施工では、技能者が主剤と硬化剤を手作業で計量・混合し、目地へ充填していた。技能者の経験に頼る部分が大きく、配合のわずかな誤差が施工品質に影響することも少なくない。手作業で混ぜるとシーリング材中に空気(エア)を巻き込みやすく、仕上げ後に気泡跡が目立つという課題もあった。
1970(昭和45)年にマサルは材料の計量・混錬・吐出を自動で行う自動計量混練機「パイレス」をアメリカから輸入、1971(昭和46)年の京王プラザホテルの施工現場で初めて使用した。「パイレス」は大量の主剤と硬化剤を密閉状態で混練するため、気泡の巻き込みがなく、工事の能率と品質に大きく貢献した。しかし、200V電源や大型コンプレッサーなど大掛かりな設備が必要で、現場で仮設の設置場所を必要とした。かつ、当時で1台800万円程度と高価だった。

パイレス
1995年に開発された「ハイゼロミニ」は、「パイレス」を改良した小型機だった。ワールドワイド商会の紹介で、小型の混練機の入手に成功した。混練部をシーリングガンの内に設置、20ℓのペール缶入りの主剤と硬化剤を空気圧で同時にシーリングガンへ押し出し、シーリングガンノズル先端から直接目地へシーリング材を充填できる装置を作り上げた。「ハイゼロミニ」という名は、主剤缶を再利用するため産業廃棄物を大幅に削減できたことから、「廃棄物ゼロ」にちなんで命名された。仮設ゴンドラに搭載し、外壁シーリング工事で目地への直接施工を狙ったが大きさや重量の問題で実現せず、当初は地上での混練専用機として実用化した。
その後も「ハイゼロミニ」の検証・改良を続け、混錬部をシーリングノズルの先端から“目地へ直接充填”する事に初めて成功したのは、1997(平成9)年のJR東日本本社ビル(鹿島建設・鉄建建設・大成建設・小田急建設共同企業体)の現場だった。元請JVの工事長の理解と協力に加え、協力会社の多大な力添えもあって、実現にこぎつけた。シーリング目地への直接充てんによるシーリングの仕上がりは成形品のガスケット(あらかじめ成形されたゴム状の止水部材)と同等に美しく、気泡巻き込みによる手直しが一切不要になった。そのシーリングガンが重く大きな労力が必要なことから、最初は使用をためらっていた現場技能者も、その仕上がりの美しさに驚いたという。

JR東日本新本社ビルでハイゼロミニを使用した
「ハイゼロミニ」は混練時間を短縮しながら高品質を確保できるだけでなく、技能者不足が深刻化する時代に「熟練の勘に頼る必要がない」という点で極めて先進的だった。
しかしその後、材料費の高騰によって採算が合わなくなり、この工法は終了する。以後は、同等の美しい仕上がりが得られる1成分形シーリング材など、別の材料による代替を模索していくことになる。
マサルの強みは何なのか。そう問われた時、「シーリング工事における圧倒的な技術提案力」と答える社員は多い。スーパーゼネコンや設計事務所など、建設業界の第一線を走る顧客から指導を受けながら、シーリングの技術を磨いてきた。創業以来、設計事務所へ直接シーリング施工と漏水しない納まりの提案ができる人材が育ってきたのも、他社にはあまり例がないことである。設計事務所と対等に意見を交わせるのは、長年の経験から数多くの建物の漏水要因を知り尽くし、技術的な検証を怠らないからだ。図面を見ただけで漏水の危険を見抜き、指摘できる社員がいる。
第2代社長の操上弘昌に、印象的な言葉が残っている。
「うちはマサル(勝る)だ。オトル(劣る)になってはならない」