阪神・淡路大震災
1995(平成7)年1月17日午前5時46分。淡路島北部を震源とする巨大地震が発生した。マグニチュード7.3、最大震度7を記録したこの地震は、後に「阪神・淡路大震災」と呼ばれ、日本の災害史に深い爪痕を残すことになる。
――未曾有の都市型災害、その時現場は
死者6000人以上、全半壊した建物約25万棟。高速道路は横倒しとなり、鉄道は寸断され、市街地では至るところで火災が発生した。未曾有の大災害は、「日本の都市は安全である」という戦後の常識を根底から覆した。
現・副社長の操上悦郎は当時、1993(平成5)年9月に大阪府中央区に開設されたばかりの大阪営業所(震災後に関西営業所へと名称変更)の所長を務めていた。操上はこの時31歳、家族とともに大阪府豊中市の高台に建つマンション10階に暮らしていた。1月17日の早朝、体を突き上げるような縦揺れで叩き起こされ、激しい横揺れを何とか乗り切ると、部屋の金魚鉢から水があふれて金魚が床でピチピチと跳ね、もったいなくて使えなかった高級ワイングラスも床へ落ちて割れていた。マンションのベランダに出ると、兵庫県伊丹市の風景が見下ろせた。あちこちから火の手が上がり、炎が揺れていた。これが全部火事なのか、信じられない思いだった。
被災地では膨大な復旧・復興工事が必要となり、全国から関西へゼネコンや専門工事業者が集結した。マサルの関西営業所にも顧客筋を中心に、被害を受けた建物の調査依頼や、改修工法の検討についての検討依頼が殺到する。調査に続き、住友ゴム研修センターや神戸センタープラザ・神戸交通会館(現在は建て替え済み)・山陽新幹線高架復旧工事など、マサルは多くの改修・補強工事に携わることになるのである。
操上はしばらくの間、家族を東京の実家へ帰した。連日早朝5時に起床、電車やバスを乗り継いで神戸地区へと通い、早くても深夜1時、遅ければ深夜3時まで働いた。東京都や神奈川県などから多くのマサルの社員や技能者が応援として駆けつけ、関西営業所は日々是決戦という空気だった。操上はその頃を、こう振り返る。
私が右も左もわからず関西へ赴任した後、工具を手配する会社の方と大変親しくなりました。その彼の家も、震災で潰れてしまった。当時、私は関東から来る応援のためにマンションを何部屋も借り上げていて、地元の不動産屋とも親しくなっていました。ですから工具手配の彼に、『もし家が見つからない時は探してあげるよ』と伝えました。すると、彼は涙を流した。そこまで言ってくれる工事屋は、操上だけだと。そんなこともありましたね。
大阪営業所
1993(平成5)年に開設した大阪営業所は、所長を含め社員3人からのスタートだった。マサルの知名度が低い関西地区で新規顧客を掘り起こすため、月300件以上の飛び込み営業・新規訪問を重ねた。こうした地道な努力と阪神・淡路大震災後の復旧工事、名古屋のセントラルタワーズ新築工事などが重なり、開設3年目には売上10億円を突破する。
開設間もない、仕事が取れない時期のことである。営業所では毎週水曜日の18時から20時まで弁当を用意し、ともに働く社員や技能者たちとの勉強会を開いた。大きな会議室がなかったため、近くの防水材メーカーの会議室を借り、シーリング、改修、塗装、仮設と、あらゆる分野の勉強を1年近く続けた。関西マサルの吉山順一代表取締役社長ら、この勉強会から巣立ち、大きく成長した技能者は多い。
阪神・淡路大震災は、日本の建築技術にも大きな転換をもたらした。1981(昭和56)年に導入された新耐震基準の有効性が一定程度確認された一方、旧耐震建築物の脆弱性が浮き彫りとなり、全国で耐震補強需要が急速に高まっていく。大震災の後、建設業界には「復旧」だけでなく、「次の災害に備える」という使命が課せられるようになった。
また、シーリング防水分野においても、「建物の動きに追従する性能」が改めて重視されるようになった。単なる止水性能だけではなく、大地震時の変形に耐える柔軟性や耐久性が求められる時代へと変わっていった。
マサルにとって、この大震災は単なる大型案件の増加ではなかった。建築物を守るという仕事の意味。社会インフラを支える責任。そして、非常時における現場力の重要性――それらを改めて突きつけられた経験だった。
大地震によって傷ついた街は、長い時間をかけて復興していく。しかし、その過程で全国から集まった建設関係者たちの努力は、確かに都市再生の礎となった。
そしてマサルもまた、その復興の一翼を担っていたのである。
1995(平成7)年の施工実績
【シーリング工事】竹芝ふ頭再開発3期(ホテル工区・オフィス工区)、文京シビックセンター、台場地区K街区4号棟、テレコムセンター西工区、東京ファッションタウンF・G街区施工
【リニューアル工事】日本ベニヤ、新宿KDD、中部電力目黒、山王グランドビル

テレコムセンター
・門型中央部をリフトアップした特殊工事であった。ガラスユニットによる等圧構法。
・現場施工においてハイゼロミニ(小型自動計量吐出型混練機)を初めて導入。