時代のニーズを捉える①
1990年にベルリンの壁が崩壊し、1991年にはソ連が消滅した。米ソ対立を軸とした冷戦時代が終わり、世界は新しい時代を迎えた。わが国は激動する世界情勢の中で空前のバブル景気とその後の大型不況を経験した。
――新技術を駆使して多角化へ邁進
1985(昭和60)年秋、「プラザ合意」をきっかけに円の対ドル相場が急騰。この円高は日本経済に強いインパクトを与える方向に働き、日本経済は大きくその姿を変えた。円高による実質所得の増大で企業や家計の資産蓄積が高まり、一方では長期的な大金融緩和政策により設備投資、住宅建設、個人消費などの内需型需要が活発化した。株価、地価の大幅な上昇を伴ったバブル景気、いわゆる53カ月間にわたる大型の「平成景気」の出現である。人手不足が深刻化し“3K” “5K”という言葉が流行して、建築業界にも深刻な影響を及ぼした。
しかし1992(平成4)年になると情勢は一変して、内需不振と急速な円高による輸出競争力低下のダブルパンチに見舞われ、深刻な「平成不況」が始まった。1995(平成7)年、「阪神・淡路大震災」がさらに追い打ちをかけ、続いて発生した為替の乱高下で世界経済の行方は予測しがたい状況となった。
建設業界ではバブル景気による建設ラッシュの一方で、高層ビルやマンションが建設から20年以上経過し、建物の経年変化の見直しが始まった。
シーリング材はこの時期までにほとんど出揃い、適材適所の使用方法も解明され、ほぼ安定期を迎えた。
マサルでは多発しはじめたリニューアル需要に対して、「ビルディングドクター」を目指してリニューアル部門を強化。スーパーブラスト工法「メカス」をはじめ「カームジェット工法」、「ネットクロスユニット工法」などの新たな技術を開発し、業態の拡大化を実現させた。また事業の多角化を図り床工事部門にも進出し、塗り床工事、フリーアクセスフロアなどに着手し、施工件数は年ごとに急速に増大した。
1987(昭和62)年創立30周年を迎え、社長の交代をはじめ、本社新館建設、5営業所開設、2技能者研修施設建設など、意欲的に事業拡大に取り組む。1994(平成6)年11月2日、創業37年にして株式の店頭公開を果たした。このとき操上弘昌社長は、『都市生活における住環境の変化をいち早く把握し、積極的な営業活動に努め、一層の業容改革を図り、さらに企業体質の強化と運営を力強く積極的に推進させ、邁進してまいります』と力強く宣誓した。
創立以来、マサルは集合住宅や高層ビルをはじめとした建物の外壁防水工事を専門分野とし、多くのニーズに応え信頼を得てきた。昭和60年代にはトータルな視点で快適な都市生活を支えることを活動のテーマとし、従来の専門分野にとどまることなく、リニューアル事業分野、開発事業分野などの新分野に多角的に取り組みはじめた。