新しい組織づくりと事業の拡大
昭和50年代には4回にわたり増資を行った。その内訳は、1978(昭和53)年1,300万円、1979(昭和54)年2,000万円、1980(昭和55)年2,500万円、1981(昭和56)年3,000万円で、50年代初頭の1,000万円対比で3倍に拡大した。資本調達方法はすべて利益処分による資本組入れである。
――(株)マサルエンジニアリング設立と新たな分野への進出
売上高の推移を見ると、初頭の12億6,527万円が50年代末の1984(昭和59)年には28憶3,716万円と、実に224%の伸びを示している。各年度の伸び率は別表のとおりで、着実な右肩上がりの成長である。
50年代初期には、わが国では第2次オイルショックの不況が訪れたが、幸いにもマサルの経営にはさして深刻な影響は及ぼさなかった。

1979(昭和54)年4月、東京都中央区新川に(株)マサルエンジニアリングを設立、リニューアル事業を開始した。設立資本金500万円、代表者苅谷勝。なお、翌1980(昭和55)年2月に操上弘昌に社長職を交替した。
昭和50年代に入ると、30年代に施工した建物にリニューアルを要するものが続出した。今後のリニューアル工事増大の見込みから独立採算の別業態を確立することが経営効率からみても最良の方策であるとして、リニューアル事業を専門とする同社を設立したのである。
もうひとつの設立目的は、今後の時代の流れとして新築工事の減少を想定し、別業態への事業拡大の必要性からの先行投資の意味もあった。時が過ぎ、平成不況を経て、日本経済が停滞してきた現在に至れば、当時、リニューアル事業にいち早く目をつけ事業化を誰進したことは、先見性のある優れた経営的感覚であった。
シーリング工事においては経営的に安定した50年代であった。しかし企業は、現状に安住せず、たゆみなく業容・業態拡大への努力を続けていかねばならない。1983(昭和58)年、新商品開発部を設置し、新しい分野の防水工事への進出を試みた。
その一つとして、リムスプレーを用いた防水工事にも参入した。リムスプレーは機械吹き付けによる超高速硬化ウレタン吹付けシステム防水工法である。防水下地に直接リムスプレーを吹き付けると3分間で硬化して抜群の塗膜物を形成する。スプレー工法のため、均一な塗膜が得られる。下地のムーブメントに対する追従性が良く、すぐれた耐候性もある。こうしたリムスプレーの特性から、床、屋上、プールに活用される。特に居住者のいるマンションの床工事などには最適である。
マサルではリムスプレーの市場価値を認め、約1,000万円の投資を行い参入した。しかし、この当時は時期尚早で、世の中の流れとタイミングが合わず休眠状態に入った。やがて60年代に入ってリムスプレーがクローズアップされる時代が到来し、マサルの先見性が立証された。

リムスプレー作業風景
鉄道関係という特殊な分野へも意欲的に参加した時期がある。地下鉄やJRのコンクリートの床板をエポキシ樹脂で固定する作業を、終電と始発電車の間の真夜中に行った。特殊な作業環境に労働力が追従し得ず、間もなく撤退した。
新商品開発部は、経営的には軌道に乗ったとは言いがたいが、シーリング業界だけに安住せず事業の拡幅拡大に向けて積極果敢に挑戦したことは、マサルの気鋭の精神をいっそう奮い立たせる契機となった。
この時期に開設した営業所についても記しておきたい。
1975(昭和50)年、サンスター技研(株)からの依頼で大和ハウス工業(株)の三重工場内の工事を請け負うことになり、三重県菰野町に三重営業所を開設した。本社から施工員5名を派遣。
工事の内容は、工場内で組み立てられるプレハブ住宅のシーリング工事であったが、当初の予想に反して仕事量は少なく、採算ベースに乗らず、1978(昭和53)年、3年足らずで閉鎖した。
1982(昭和57)年4月、東京都中央区日本橋人形町に東京支店を設置。プレハブ部門の活性化を図るため独立させた。本社から7名(男性6、女性1)を派遣。営業的に期待されていたが、諸般の事情から1年足らずの翌1983(昭和58)年3月、本社に吸収した。