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多角化への道 C 5-2

時代のニーズを捉える②

昭和60年代~平成初期②

建築物を長期に使用可能とするためには定期的に点検し、維持保守・改修によって再生しなければならない。昭和50年代後半になると、30年代から40年代にかけて建設されたビルの調査・診断およびリニューアルの需要が増大してきた。

――ビルディングドクターとして業務拡大

マサルではいち早くこの事業分野の将来性に目を向け、1979(昭和54)年に(株)マサルエンジニアリングを設立し活動を続けてきたが、1991(平成3)年、(株)マサルと合併することによって力を一本化してリニューアル事業本部(東京都中央区箱崎町)として改組した。翌1992(平成4)年には押上ビル(同墨田区業平、のちに社員寮)購入に伴い、ここに拠点を移したが、さらに1996(平成8)年、本社近くのビルに移転し、事業拡大に向けて邁進した。

補修・改修に先立って、まずは建物の調査・診断業務が行われる。

建物は竣工後からさまざまな環境の影響や経年変化による劣化、および自然災害(地震、台風など)や人災害等によるいろいろな故障・損傷が発生してくる。いってみれば成人病になりはじめた建物である。リニューアル事業本部はビルディングドクターとして建物の健康診断、すなわち建物の安全性、劣化状態をあらゆる角度から調査・診断を行うことを事業目的として確立された。この分野において急速に事業拡大をなし得たのは、これまで建設工事に参加してきた者しか持ち得ない建物の細部にわたる豊富な知識や経験、すなわちマサルの技術的財産のお陰である。

これまで調査・診断を行った主なビルは、超高層ビルでは、京王プラザホテル本館(1982(昭和57)年・東京都新宿区)、新宿三井ビル(1973(昭和48)年・同新宿区)、サンシャイン60(1989(平成元)年・同豊島区)、世界貿易センタービル(1983(昭和58)年~1992(平成4)年・同港区)、三井霰が関ビル(1986(昭和61)年・同千代田区)など、また歴史的建物では、国会議事堂(1983(昭和58)年・同千代田区)、横浜三井物産ビル(1985(昭和60)年・神奈川県横浜市)、三井本館ビル(1989(平成元)年・東京都千代田区)、ニコライ堂(1989(平成元)年・同千代田区)などが挙げられるが、特にマサルの発展史上で大きな意味を有したのは1988(昭和63)年、国会議事堂の全館内外にわたる本格的な総合調査である。

国会議事堂は1886(明治19)年に中央官庁集中計画の一環として建設が計画され、1920(大正9)年の着工から16年の歳月をかけて1936(昭和11)年に竣工した。八幡製鉄の鉄材、山口県や広島県の石材など、すべて国産の材料を使用して建設された。これに先立って行われた木材、石材に関する調査・研究は、日本の建築界に重要な役割を果たしたという。

国会議事堂

以来50余年を経て、国家的・歴史的な建物の保全上、徹底的な調査・診断の必要性が迫られ、内閣官房保全センターで調査を行うことになった。その依頼を受けて、マサルは建物の内外を隈なく調査・診断し、報告書を提出した。それまでマサルは調査・診断の守備範囲をシーリング中心に行っていたが、これを契機として建物のあらゆる分野に拡大した。

診断の結果、改修の対象は屋上だけに止まり、1989(平成元)年工事を行った。ちなみに当時はまだ調査・診断の費用というものは公認されておらず、莫大な調査費用のわりに施工費は微小で、経済効果は期待したほどは得られなかった。しかし、建物全般にわたる調査・診断技術の修得とそのデビュー性においてその意義は大きい。

1995(平成7)年1月の阪神・淡路大震災の目を覆うばかりの被害は記憶に新しい。マサルは復旧作業を急ぐゼネコンの依頼を受けて被災地に駆けつけ、被害にあった建物の調査・診断に全力を挙げて応援した。交通が遮断された被災地で、しかも壊れかかった建物の調査には想像以上の危険・困難が伴った。調査・診断に引き続き、住友ゴム研修センターや神戸センタープラザなど、被害甚大なビルの改修・補強工事を急ピッチで仕上げて非常に喜ばれ、これを機に関西地方におけるマサルの知名度は一挙に高まった。

阪神・淡路大震災の惨状

リニューアル計画の提案に際して、ビルディングドクターとしての役目は調査・診断の結果を提示するだけではなく、次の段階として適確な治療方法の提案を行う。診断結果と長年蓄積してきたノウハウに基づいて、各種の補修・改修計画案を施主に説明し、工事の受注につなげていく。

併せて、維持管理・日常メンテナンスの提案も行う。

新築・改修後の建物において補修・改修後の建物の維持管理計画を提案し、今後の日常メンテナンスに役立ててもらう。“建物のあるところ必ずマサルあり”を目標に、ビルディングドクターとしての位置づけを確立し、事業分野拡大への取り組みを強化していった。

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