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試練の時代 C 6-2

技能社員制度の導入

1995年~2002年➁

1980年代から1990年代にかけて、マサルの業務拡大が進むにつれ、シーリングの要である現場技能者の確保に苦しむ現場が増えてきた。若年層の建設業離れや、熟練技能者の高齢化を背景に、業界の人手不足は誰の目にも明らかになりつつあった。

――現場を支える「人」を育てる

とりわけシーリング防水工事のように専門性が高く、経験が品質を左右する分野では、人材確保が企業経営の根幹を揺るがす問題となりかねない。マサルは技能者不足という課題に対し、早くから危機感を抱いていた。

当時、多くの専門工事会社では、協力会社や職人ネットワークに依存した施工体制を組むのが一般的だった。工事需要の増加に伴い、優秀な技能者の確保競争は激しさを増していく。しかし、高度化する建築技術や品質要求に応えるためには、単なる人数確保ではなく、自社の理念や施工品質を共有できる技能者の育成が不可欠だった。

1991(平成3)年、マサルは「技能社員制度」をスタートさせた。これは現場技能者を「社員」として直接雇用し、長期的に育成する試みである。未経験の若手人材を技能社員として採用し、安定した雇用環境のもとで、シーリングの技術や施工、安全管理に関するあらゆる知識を身につけさせる。防水施工技能士などの資格取得を支援し、施工品質の均一化と現場力強化を目指した。

1993(平成5)年には東京都江戸川区東小岩に小岩技能研修所を、1994(平成6)年には千葉市美浜区に千葉技能研修所を開設する。研修所は実際の建物の壁面を模した設備を備え、技能社員たちは実践に近い環境で技能を磨くことができた。

千葉技能研修所(千葉市美浜区)

実技研修の様子

シーリング工事は、単純に材料を充填するだけの作業ではない。建物の構造や気候条件、下地との相性を見極めながら、長期間にわたり防水性能を維持する高度な技術が求められる。わずかな施工不良が、後年の漏水事故や外壁劣化につながることも少なくない。だからこそ、マサルは「技術は人が支える」という考えを重視した。「技能社員制度」は当時としては先進的な試みであり、専門工事業界でも注目を集めた。そして、この制度によってマサルにはピーク時で約30名の若手技能社員が育つことになる。

制度の意義は、単なる人材確保策にとどまらなかった。1990年代に入り、建設業界では品質保証や施工責任の重要性が、一段と高まっていた。ゼネコン各社は専門工事会社に対しても、安定した施工能力と品質管理体制を求めるようになる。この制度は、そうした時代の要請に応えるための経営戦略でもあった。

しかし株式公開から1年後の1995(平成7)年、建設市場の先行きに強い不透明感が漂い始める。バブル崩壊の余波はやがて業界全体を覆い、長い冬の時代が到来した。「技能社員制度」を維持するには、教育担当者の人件費や研修施設などの維持費だけで年間3000 万円程度を要する。研修社員の人件費も含めれば、厳しい時期を迎えたマサルにとって決して軽くはない負担であった。小岩技能研修所は1996(平成8)年に閉鎖され、千葉技能研修所も同年設立の株式会社テクマへ移管される。

制度を終えるにあたり、そこから育った若手技能社員たちの雇用を守る必要があった。中には途中で辞めた者もいたが、テクマや他の協力会社へ移籍する者、自ら起業する者と、技能社員たちはそれぞれの道を選び、進んでいった。

若い人材をゼロから育てるには、相応の資金と時間を要する。マサルはこの経験から、その厳しさを身をもって学んだ。

(株)テクマ

1996(平成8)年、マサルの施工課と資材課を併せて独立させ、別会社として設立。技能者育成や施工支援、現場管理の機能を担うとともに、人件費削減のため千葉技能研修所を移管し、雇用されていた技能社員たちの受け皿となった。のちにマサルの子会社となり、さらに2009(平成21)年に吸収合併された。

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