業界に先駆けた技術力①
昭和40年代のわが国は大企業の技術水準や生産性が著しく成長を遂げ、国際的にも極めて高い水準にまで到達した。国民総生産はアメリカに次いで世界第2位に立ち、世界に冠たる「経済大国」の地位を築いた。しかし、世界経済とのひずみ、公害問題の発生、福祉政策の意識の高揚等、国内外共に難問題が相次いだ時代でもあった。
――新材料・弾性シーリング材時代の幕開け
40年代に入ると活発な投資ブームが起き、戦後最長の「いざなぎ景気」をおう歌。しかし1971(昭和46)年8月、突然のニクソンショックで景気は急変した。翌年、田中角栄の『列島改造論』に伴う金融の大幅緩和や国際黒字による通貨膨張のため過剰流動性インフレが起き、地価暴騰、狂乱物価の事態に陥った。やがてモノ不足が始まり、鋼材やセメント等の建築資材から生活消費財にまで及んだ。これに追い打ちをかけた1973(昭和48)年10月のオイルショックで、以来3年に及ぶ不況が続いた。
建設業界においては、30年代から胎動していた超高層建築の技術が、1968(昭和43)年、三井霞が関ビルの竣工をもって開花し、本格的な超高層ビルの時代に入った。カーテンウォール工法についても種々の進展があり、排水機構のディテール等に新技術が取り入れられ、また外壁材も新技術によって新しい表面加工が施された。
シーリング材業界では、1963(昭和38)年の2成分形ポリサルファイドの国産化に始まり、1成分形や2成分形のポリウレタン、2成分形シリコーン等が次々に登場した。一方、施工業界は新しいシーリング材や外壁材への対応に振り回される時代となった。マサルは地道な研究・実験を続けて新しい施工法を開発して時代に対応し、経営的にも飛躍的な発展を遂げた。
第一生命本社ビル工事
1968(昭和43)年竣工の第一生命本社ビルは、都心から70kmも離れた神奈川県足柄上郡大井町に建設された26階建ての高層ピルで、大胆な本社移転として当時の経済界の話題をさらった。マサルは外壁のシーリング工事を「ウエザーバンシーラー」で行った。
地震の多いわが国にとって、高層・超高層化に向かい、剛構造から柔構造、中でもカーテンウォール工法の導入は重要な要素であった。しかし防水工事に関していえば、従来の油性コーキング材は弾力性や耐久性の面においてカーテンウォールのムーブメントヘの適応は難しかった。
1960(昭和35)年、住友スリーエム(株)がアメリカから2成分形ポリサルファイドシーリング材「ウエザーバンシーラー」を輸入した。翌年、これが日本板硝子ビルの全面ガラス張りのカーテンウォールに使用され、業界の注目を浴びた。1963(昭和38)年には2成分形ポリサルファイド、1成分形シリコーンなどの国産品が次々と開発され、昭和30年代後半は油性コーキング材から弾性シーリング材への急速な転換が進み、40年代は大変革の時代となった。
日本板硝子ビル
1961(昭和36)年、大阪市に竣工した板硝子ピルは、建物全体をショールームとする目的から、外装が全面的にガラスとステンレスの組み合わせによる本格的なカーテンウォールによって覆われた。当時は、ガラス張りの建物に対して不安論争があり、実物大のモデルを作ってテストを行うなど、地震に対して最大の配慮が払われた。カーテンウォール工法のさきがけとして建築史に残る建物である。
時代の流れをいち早く察知したマサルは、他社に先駆けて新しい材料に対する施工法の研究に着手した。