経営の推移
1959(昭和34)年7月、東京都中央区人形町に本社を移転した。
マサルは昭和化工(株)が製造する油性コーキング材「エバーシール」の施工請負業としてスタートした。当時、油性コーキング材は建築材料としてまったく新しい未知の材料であったので、建築に使用する段階ではメーカーの品質保証が施工条件とされた。したがって施工業者はメーカーから離れて仕事を請け負うことができず、マサルもまた、昭和化工(株)なしに工事に携わることは難しかった。
――昭和化工(株)翼下からの脱皮
その後さらに良質で低コストの他社製品が製造供給される時代になった。しかし昭和化工(株)は、「エバーシール」開発後は道路工事分野に事業転換し、シーリング材の新規開発市場から遠ざかっていた。マサルは昭和化工(株)の仔飼いの会社である以上、他のメーカーがいかに優れた製品を売り出してもそれを使うことは許されない。「このままでは時代に乗り遅れてしまう」と苅谷社長は憂慮し、‘‘脱昭和化工(株)”を決意せざるをえなかった。
この本社移転は、昭和化工(株)の翼下から脱皮し本格的に独立独歩の道を選択する、という意味をもっていたわけだが、振り返ってみるとそれがマサルの発展に確実につながったのである。
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人形町本社ビル(1959(昭和34)年7月~1966(昭和41)年8月)
建設業登録
1963(昭和38)年、建設業登録(東京都知事(ち)第29239号)を申請し受理された。これは建設業法に基づき、一定額以上の工事を請け負うために必要な資格を公的に証明するものである。昭和化工(株)から完全に独立し、直接契約で受注するようになった時点で建設業登録を取得する必要性が生じ、取得した。
順調な右肩上がりの成長率を維持してきたマサルだが、ここでその推移をみてみたい。
創立翌年から昭和30年代終末までの売上高の推移を見ると、1958(昭和33)年の1,587万円から年々増加を続け、1964(昭和39)年には6,628万円となり、創業当初の4倍強の売上高を達成した。この間、1962(昭和37)年度の減少と1963(昭和38)年度の顕著な増加が見られるが、これは決算期変更に伴う増減である。その他の年度は、おおむね前年対比120~140%の高い伸び率を示している。
この経過が示すように、インフレ上昇率を差し引いても、昭和30年代のマサルは成長経済時代の波に乗って非常に順調に成長した。

1964(昭和39)年、はじめて創業資本金50万円が倍額増資された。これは基本的には社員に株を持たせ、株式配当を有償で行う増資方法である。すなわちボーナス時期に利益配当分を原資として社員に株として買ってもらうという形での増資であった。利益があるからこそ可能な方法であった。
この社員持株制度は1963(昭和38)年からマサルの経営陣に参加した山蔭功常務(当時)によって導入された。山蔭の優れた経営手腕はあらゆる経営面に発揮され、マサルの経営碁盤を盤石ならしめた。

山蔭功常務
持株制度による増資は次なる飛躍に向けての企業活動に大いに資するものであったと同時に、株主に名を連ねたことで社員の経営参加意識を喚起し、愛社精神を高揚させた。時を経て1994(平成6)年、株式公開の大願を成就し、当時の社員の協力に対して大きく報いることができた。

五十里湖に社員旅行