油性コーキング材から弾性シーリング材へ②
油性コーキング材をはじめとしてその後次々に開発された弾性シーリング材もまた、粘性が強いものや温度による変化の著しいもの等、扱いにくい材料ばかりであった。施工会社はこれらの難しい材料を使って確実に工事ができる技能工を育成しなければならない。
技能の修得方法は現場で体で覚えていくしかない。厳しい訓練に耐えて大勢の職方たちが育っていった。
――技能工育成と新しい防水工法の確立
まず見習い期間の第一段階は、先輩の傍らにつき従って仕事の手順を見学することに始まる。次いで施工前の目地の掃除、ガンに材料を詰めてタイミングよく先輩に手渡す、といった雑用を受け持つ。この段階を終えてやっとガン打ちが許された。ガン打ちの基本は多く出し過ぎないこと。ガン打ちが修得できても、「早く美しく仕上げる」にはまだまだ修業を積まねばならない。
マサルでは技能修得の碁本として、①急がない、②確実に打つ、③汚さない、そして最後に④作業能率を上げる、の4つの段階を着実に修得するように指導した。職方は教えによく従い、プロとして自立していった。この実地訓練はマサルと職方を強い絆で結びつけ、マサルの発展の大きな原動力となった。
この指導方法は、後年の「技能者養成システム」や「技能者研修施設」等の研修システムの土台となっている。
1955(昭和30)年に日本住宅公団が発足し、集合住宅を中心に大量供給が始まった。初期段階は現場打ちコンクリート工法の4階建て団地だった。その後、PC工法住宅が開発され、1958(昭和33)年に2階建ての多摩平団地(東京都日野市)が建設された。その後4階建ての研究が盛んに行われた結果、1965(昭和40)年になってドライジョイント方式の4階建てが実用化され、日本初の大型団地として作草部(現・千草台、千葉県千葉市)団地に約2,000戸が建設された。これをもって4階建て、5階建てのPC工法住宅が本格的に認可され、施工技術も定着した。
一方、油性コーキング材による防水工事は最初は雨漏りの補修工事として導入されたが、1958(昭和33)年以降、窓枠まわりの防水工事には新築段階からも取り入れられるようになり、PC工法住宅では多摩平団地からコンクリート板の目地防水に使用された。以後、油性コーキング材の全盛時代を迎えた。
以上のような日本住宅公団発展の歴史のなかで、マサルは常に防水工事に密接にかかわってきた。先に述べた初期の青戸団地の雨漏り補修工事以来、牟礼団地(東京都三鷹市)、多摩平団地(同日野市)、光が丘団地(千葉県柏市)、高根台団地(同船橋市)、新所沢団地(埼玉県所沢市)等々、多くの集合住宅の防水工事を請け負った。その過程ではPC工法による集合住宅の防水工事の先駆者としてさまざまな辛酸を経験したが、やがてPC施工上の標準工法を確立するに至った。職方の小倉一也・鈴木正博・平田秀夫・渡辺末弘らは昭和化工(株)の西一氏と共に技能開発に従事し、目覚ましい働きをした。

多摩平団地
同時代、昭和化工(株)で「フジシール」と名づけられた加熱注入型目地充填材が開発された。これはゴム化アスファルト材で、PC工法住宅の屋根のジョイント部分の防水に優れた性能を示した。ふつうのアスファルトは低温では硬化して割れてしまうが、「フジシール」はゴムが含有されているため低温においても弾性や付着性を失わず、寒冷地での使用にも耐える特性がある。
新開発の「フジシール」の使い初めは、1957(昭和32)年に日本住宅公団が建設した東京都世田谷区弦巻町の試作住宅と多摩平団地だった。日本住宅公団の団地建設のスタート期は、どのような方法で防水をしたらいいか、施主、大成建設(株)、メーカー、施工業者がそれぞれの立場から知恵を結集させて研究を続け、PC板の形状・ディテールを徐々に改良していった。マサルからは小倉、鈴木、平田、渡辺らがPCの防水専門家として加わり、大いに活躍した。
日本住宅公団は種々検討の結果、性能面からみてPC工法の屋根防水材は「フジシール」が最適と認めた。以来マサルでは日本住宅公団の工事では全面的に「フジシール」を使って施工した。鈴木は「フジシール」で施工する際に下地にバックアップ材を張る工法を考案した。
そのころ現場にいた大手ゼネコンの監督たちはまだ「フジシール」というものを知らず、マサルの作業過程を見て非常に興味を抱いた。そこでマサルの職方たちは機会あるたびに性能や使い方を詳細に説明して宣伝に努めた。以後他のゼネコン各社からも発注が増え、「フジシール」の使用実績が急伸した。