節目の年の逆風
1996(平成8)年、株式会社マサルは創業40周年という節目を迎えた。
1956(昭和31)年に苅谷勝が個人事業主として防水工事に取り組み始めてから、40年の歳月が流れていた。創業期を知る社員には、「よくここまで大きくなった」という感慨があった。
――創業40周年とバブル崩壊

創立40周年を記念して、社史『マサル四十年の歩み』を刊行。1993年3月から約3年半をかけて編纂され、当時の社員、協力会社や関係者に献本された。
翌1997(平成9)年には、当時会長となっていた創業者の苅谷勝が黄綬褒章を受章する。長年にわたり建設業界の発展に尽力し、技能者育成や施工技術の向上に貢献した功績が評価されたものだった。マサルという会社の歩みが、社会的にも認められた瞬間である。

苅谷勝 黄綬褒章の記
だが、その足元では時代が大きく変わりつつあった。1991(平成3)年に始まったバブル崩壊の影響は、計画から着工、竣工まで数年を要する建設業界には、当初現れにくかった。しかしバブル期に受注した大型案件が一巡すると、市場は急速に縮小へと向かっていく。
建設業界に身を置く者にとって1995(平成7)年頃には、建設バブルの崩壊は誰の目にも明らかになっていた。都市開発案件は減少し、民間設備投資は停滞する。金融機関の貸し渋りも深刻化し、不動産関連企業の倒産が相次いだ。
ゼネコン各社は受注確保のため、これまで以上に激しい価格競争へ踏み込んでいく。そのしわ寄せは、専門工事業者にも容赦なく及んだ。現場では「とにかく安く」という要求が日常化していった。
この事態を受けて1995年、マサルが掲げたのが「売上100億円以上を維持しながら販管費を3割削減する」という極めて厳しい経営目標だった。事務所の維持費から設備投資、管理部門の経費に至るまで、あらゆるコストが再点検されていく。横浜、西東京、関東、千葉、大阪の各営業所は、2002(平成14)年までにすべて閉鎖された。2002年の固定費を1994(平成6)年と比べると、福利厚生費は86%減、地代家賃は62%減、事務用品費は55%減、通信交通費は26%減となっている。
40周年を迎えた1996年、マサルは記念式典や社内行事にとどまらず、将来を見据えた組織改革にも着手した。「株式会社テクマ」の設立と「防水&建材事業部」の発足である。いずれも、建設バブル崩壊を受けての打開策でもあった。
テクマは、前述の通り、マサルの施工課と資材課を併せて独立させ、本体から切り離した会社だった。技能者育成や施工支援、現場管理の機能を担うとともに、人件費削減のため千葉技能研修所を移管し、雇用されていた技能社員たちの受け皿となった。テクマはのちにマサルの子会社となり、さらに2009(平成21)年に吸収合併されることになる。
防水&建材事業部は、激減した高層ビルの新築工事に代わる新規事業への参入を目指す部署だった。アスファルト防水や塗膜防水といったメンブレン防水工事、高架橋の防水工事、耐震補強工事などがその対象である。防水&建材事業部ものちの2007(平成19)年、シーリング事業本部と統合され、組織変更されている。
1998(平成10)年には、マンションの大規模修繕工事の営業を開始した。ゼネコンなどからの下請け受注ではなく、管理組合などからの直接受注を目指す試みである。この事業はいったん撤退を余儀なくされるが、2011(平成23)年に施主からの直受け案件を手がけるようになり、2026(令和8)年現在、売上を順調に伸ばしている。
しかし、リストラを繰り返し販管費を削っても、業績は落ちていく一方だった。1994 年度・第39期に129億7900万円の売上高と2億9500万円の純利益を計上したマサルは、翌第40期に売上高124億9400万円・2300万円の赤字へ転落する。第41期は売上高112億9800万円・2600万円の赤字、第42期は売上高103億2200万円・1億600万円の赤字。数字は坂を下るように悪化していった。
1996(平成8)年の施工実績
【防水工事】逆打ちグラウト工事に本格参入し、大型現場を受注。科研製薬本駒込整備計画(文京グリーンコート)、ゲートシティー大崎イーストタワー、晴海一丁目BG棟、番町麹町共同ビル
【シーリング工事】FCGビル、錦糸町駅北口再開発2街区A棟、新宿新南口RCビル、東京ユーロポートホテル施工
【リニューアル工事】NEC 本社ビル、パークサイドウィングス、共立女子学園図書館棟、小津ビル、新霞が関ビル

FCGビル(フジテレビ本社ビル)
・アルミパネルカーテンウォールで全てシリコーン系シーリング材を使用。
・球体はチタンパネルであり、ポリサルファイド系シーリング材を使用。
・竣工後、塩害汚れ対策としてクリーニング工事を受注。