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発展期 C 3-7

高層ビル防水工事を担った先進性③

昭和40年代⑦

昭和40年代後半~50年代中期までの2成分形ポリサルファイドの時代は、「大雨が降ると電話が怖い」といわれていた。
というのは、ポリサルファイドは熱伸縮に弱点を持つ材料で特にアルミカーテンウォールのムーブメントに追従しにくく、また目地設計そのものがシーリング材の性能に対して十分な幅でなかったこともあって、破断、剥離を引き起こし、しばしば漏水事故につながった。

――特許技術の工法開発

そのためマサルでは、目地幅が小さいために起こるトラブルの補修方法としてブリッジ工法を開発し、特許を取得した。

また、この工法は金属製笠木や方立間の目地、およびガラスまわりの目地に適するが、特にガラスパネルの目地のシーリング補修においては既存のシーリング材を保持したまま工事を行うため、ガラス材の固定状態は損なわれない。1977(昭和52)年竣工の青山ビル(東京都渋谷区)、1978(昭和53)年の中央大学多摩校舎(同八王子市)の補修から部分的に取り入れられ、1985(昭和60)年の国策パルプ本社ビル(同渋谷区)では外装の意匠にも考慮し事前に成型された材料を現地で貼付する等の工法も試みられ、徐々に施工例も増加し、ゼネコンの技術研究所の技術的な裏付けがなされて工法として確立した。

ブリッジ工法(特許)

目地形状の不備や、設計伸縮率以上のムーブメントが原因とされる破壊が生じたときに、再充填工法により補修を行っても、早期にまた同じ破壊を繰り返すことが予想される。この場合は、同種の材料を用いるとしても図に示すように目地に橋を架けるように、シーリング材を盛り上げるように充填して補修する。この種の補修をブリッジ工法・橋かけ工法と称する。

ブリッジ工法(特許)①

ブリッジ工法(特許)②

昭和40年代は、建築部材の開発が活発に行われたことから、新材料に対応するプライマーとシーリング材の研究が最大の課題となった年代である。

建築材の表面処理剤への対応も必要となり、部材に適合するプライマーの研究も進められた。

プライマー

被着体と不定形シーリング材との付着性を良好にするために、あらかじめ被着体面に塗布する下地処理材料。建築物の部材は多種多様であり、また多様な表面処理がなされている。こうした被着面にシーリングが本来の性能を発揮し十分接着するために、プライマーの選択と確実な塗布が重要となる。

プライマー

シーリング材の接着はプライマーに依存する部分が多く、したがって、プライマーの材質および確実な塗布がシーリング材の接着性を決定する。大規模工事におけるシーリング材の採用は、適切なプライマーの選定によって左右された。

ところが昭和40年代前半までは、コンクリートやスレートなど多孔質な面には耐水性向上のため当初より使用していたが、ガラス、アルミニウム、ステンレスのような非多孔質な面ではプライマーを使用することが少なかった。

しかし、40年代後半に至り、すべての建築部材にプライマーを使用する仕様に変更された。これは建築部材メーカーが次々と新材料、新塗装の製品を開発してきて、接着付与剤では対応しきれなくなり、プライマーに頼らざるを得なくなったからである。

したがって40 年代は建築部材表面に適合するプライマーの開発で各メーカーが振り回された年代となった。

このような状況のなかでマサルは率先してメーカーと協力し、新開発の金属・非金属の部材に適合するプライマーの評価・研究を行った。

シーリング工法(特許)

接着剤を用いてゴム成形品を接着固定する工法である。サッシ部は、他のジョイント部と比べて劣化しやすいだけに、長期の耐久性があるこの工法が用いられる。比較的簡単な

作業ですみ、品質の安定と美観性に優れている。

シーリング工法(特許)

40年代は、建築部材の開発に対応してシーリング材やプライマーの開発が活況を呈した時代であり、試行錯誤を繰り返した時代でもある。

これに伴い、シーリング材のヒビ割れ、剥離、破断等、さまざまな問題が起こってきた。こうしたトラブルはシーリング材の施工業界として保証問題にも関係する重大事であるし、工事の進行にも影響する。

一般的にいえば材料研究はメーカーに任せてよいのかもしれないが、事態は逼迫していた。マサルは自ら本社屋上に実験設備(曝露テスト場)を整えて経年変化を観察し、部材とプライマーとシーリング材との研究改善に大きく貢献した。

曝露テスト①

曝露テスト②

弾性シーリング材の中で最初に輸入されたのはポリサルファイドだが、これはジョイントムーブメントに追従しにくかったり、紫外線による材質変化が起こり予想外に劣化が早いという欠点があった。

1973(昭和48)年竣工の新宿三井ビルの工事はこの欠点から起きるトラブルに悩まされ続けた。マサルはこの欠点を補うものは新しく開発された2成分形シリコーンしかないと考えたが、この材料はまだ施工例がなく「実用上問題なし」という確証はなかった。

確証を得るために、メーカーの実験だけに頼らず自ら実証しようと、工事中のビルの壁面の一部を借りて内々に性能実験を行ったり、同時に本社屋上でも曝露試験を行い研究を重ねた。これらの実験の結果、2成分形シリコーンの性能が実証され、建築用に汎用されることになった。

こうして時代は2成分形シリコーン全盛期へと流れ、超高層建築のガラスまわりの施工において2成分形ポリサルファイドの使用は1978(昭和53)年竣工の池袋サンシャイン60(東京都豊島区)をもって終わりを告げた。

新宿三井ビル

1973(昭和48)年に東京・新宿副都心に完成したアルミカーテンウォールによる179.671mの超高層オフィスビルである。地上55階・地下3階。(株)日本設計事務所の設計で、鹿島建設(株)と三井建設(株)共同企業体により施工された。

道路網の高低差を利用し、上の道路面をオフィスに、下の道路面を水と緑、店舗に囲まれた公共の広場として開放し、超高層ビルの足元まわりの解決法が高く評価された。高層部の外観は黒いアルミフレームと反射ガラスによる近代的なデザインで、特に6層にわたるタスキがけのブレースの構造表現が特徴的である。

反射ガラスが全面に使われた最初の超高層ピルとして位置づけられ、ガラスを上部で吊る工法が採用されており、映像調整に対して強い関心と工夫が行われた。

新宿三井ビル

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